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避難生活 その2

たとえ準備はなくても、なんとかなりました。
真っ暗ななか響いてくる地鳴りは地球がうねってるのが簡単に想像できてものすごく怖かったんですが、自然のやることの規模は大きすぎるし、電気のない夜に見える満天の星空はすごすぎるし、もうゆだねようって気になりました。でっかい手のひらで転がるような安堵さえ感じました。かえって関東に帰ってからの方が、これから何か起こるかも?!と、よっぽと肝が据わりません。素じゃ無理なので、備えて気丈になろう。というわけで、津波の来なかった家族の家での避難生活を思い起こします。


◎自宅で避難するとき、あってよかったもの。

電気は、ガスより早めに復旧するので、電化製品入っています。
津波がきた実家では、3日ほど自力で生き延び、水が引いた後、炊き出しが始まりました。
給水車は、5日後。電気は、一ヶ月後。
津波被害のない地域にある妹の家では、水道は出ていて、電気は2日後。買い物も一週間くらいで少しずつできるようになりました。物流が中央からの大手スーパー、コンビニはすぐ閉まり、再開は遅いです。
頼りになるのは、地元の商店でした。

 卓上ガスコンロ または ホットプレート(グリル鍋)
 キッチンペーパー
 サランラップ
 アルコール手消毒

ホットプレートでは、ごはん、パン、汁物、焼き物が作れます。
お湯が多めにほしいなら電気ポットも。小さくて短時間沸騰が便利でした。
石油ストーブがあると料理の幅は広がり、部屋も温まります。
食事のとき洗えないので、皿の上にラップをかけて食べます。
ティッシュも使いますが、キッチンペーパーは破れにくく重宝しました。

 水
 米
 小麦粉

 塩、砂糖
 バターかオリーブ油 (そのまま食べてもおいしい油)

 ジャム
 ビスケット
 せんべい
 チョコ
 乾麺 (ぬるま湯で、もどりそうなもの。そうめん、サラダパスタ)
 チーズ(ハードタイプ。パルメザンなど冷蔵庫がなくても溶けにくいもの)
 栄養ドリンク(粉末)

食料は、好物があると元気が出るし、備蓄を買いなおすときも食べやすい。
味噌。胡麻。海苔もあれば便利。
書き出したのは、冷蔵庫がなくても日持ちするもの。
避難が長期になる場合、乾物が便利になってきますが、最初はそのまま食べられるものが役立ちます。
我が家では、バターが出ると色めきたちました。
羊羹はスーパースターでした。

 万能ライト(乾電池と手回し両用。ラジオ、ライト、携帯充電機能つき)
 懐中電灯、持ち歩ける照明 (家にある電池タイプが便利。テレビ、エアコンのリモコンだと単4。)

 毛布
 靴下
 ゴム手袋
 マスク
 ゴミ袋
 おむつ(トイレ用)
 つるつるナイロンの上着 (防塵、防寒、雨具)
 歩きやすい靴
 バケツ

日が暮れると本当に真っ暗です。そして、台所やトイレなど基本となる場所は、昼でも暗い。
ろうそくもステキだったけど、うちでは、子供がハッピーバースデー!と吹き消すし、動物たちは近くをうろつくし、ぜんぜん落ち着きませんでした。
懐中電灯は、人数分あるといいです。照らす範囲が狭いので、空間用に照明もほしい。
足が冷えます。足元に毛布を敷いたり、靴下はいたり。
手が洗えないので、ガラス類の片付け、瓦礫移動、トイレ掃除など、作業ごとにゴム手袋があると便利。
ゴミ袋、おむつは簡易トイレになります。ビニール袋を便座に広げてかけ、中におむつを敷きます。おむつは、ペット用、大人、子供なんでも可。凝固剤があるとより簡単に処理できます。衛生を保つと心身バランス取りやすいです。
ゴミ袋は、片付け、シート、防寒、防湿いろいろ使えます。
バケツは、なんでも大丈夫です。給水車にもらいに行くとき持ちやすいものが便利。それと、家において貯めておけるタイプ。
うちでは、子供のおもちゃ入れに使っていたゴムやプラスチックの入れ物が重宝しました。飲料用、生活水用、あるといいです。
靴は、足場が悪いので運動靴か長靴。その後、避難のために歩くかもしれないから、やはり運動靴かな。
ナイロンの上着は放射能よけにも。そのときは、ほかに帽子、マスク、手袋。花粉症用のメガネも便利。ガイガーカウンターも。家で籠城する場合は、目張り用のガムテープ。これからは自然災害だけではなく、発電所の事故、工場の火災など科学的な災害の備えも。


ガマンしにくいのは、暑さ寒さ、食べること、睡眠。ここは大事なので無理しません。ただ長く残したい食べ物は、思い出さないように見えないように保管。あと、衛生を保つこと(トイレや家の外と内、作業前後など)。あっていちばんよかったのは、まわりの人と声をかけあい協力したこと。人が集まると持っているもの、得意分野が色々なので、本当にお互い助かります。そして、遠くの人からの励まし、手助け。これもとてもチカラになりました。
だから本当に、あればより良いですが、なにはなくとも何とかなりました。


シンプルで生活くさくない住まいを目指してたけど、震災後は食べ物も家電もはみ出してる。
目に入るから、備えを食べてしまう。
防災リストはできるだけ日常使うもので作る。このへんがこれからの課題です。
いろいろ書き出しました。できるだけ具体的に書いたので、津波からの避難が色濃いです。
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避難生活 その1

すこし時間がたち、落ち着いてきたので
ここでひとつ、東日本大震災のとき、あってよかったものを思い起こしてみます。
これまでみなさんからは、いただいてばかりだったので、なにかしたくて。
防災のお役にたてたらうれしいです。


◎避難のとき、鞄にあってよかったもの

 水
 チョコ、せんべい、チーズなど

塩分糖分がっちり入ってるもの。歯ごたえのあるものが、
食べたな~って気になります。

 ライト(照明)
 ウェットティッシュ
 ビニール袋
 常備薬や風邪薬
 ラジオ
 家族の写真

書き出してみると当たり前のものばかりですが、あのときはチョコひとかけが輝いてみえたので、再確認をこめて。
水がないので、ティッシュは濡れてるほうが便利。
ビニールは、何にでも使えて、大きいのも小さいのも両方便利。
ライト、ラジオを携帯から使うなら、乾電池やソーラーの充電器が必要。
携帯は一週間使えませんでした。電波が入るとこれまでのメールが一度にたくさん届き、瞬時にバッテリーがなくなります。充電してもなくなるを繰り返すので電話をかける間がありません。ここはこれからの課題。
写真は、家族を探すとき重宝します。
ペンと紙もあるとさらにいいです。人にメッセージを託したり、子供の時間つぶしに使えます。
薬は災害の大きさによっては、すぐもらえません。避難中は体調を崩しやすいので必須。持病など常備薬は、本人以外にもうひとり持っているといいです。

 季節の寒さ、暑さしのぎ
 現金
 子供が小さい場合は、母子手帳

丈の長い厚手の上着を身に着けてたり、ストールひとつ持っていると全然ちがいました。
暑い時期なら、扇子。
母子手帳を持ち歩くのが心配なら、生まれたときの事、予防注射、病歴などを手帳にメモしておくといいです。


これらは揺れてから探すと、ガラスや物がとっ散らかってて危ないです。
いつも鞄に入っていると外出先でも安心ですし、
家にいる場合も、鞄ひとつ持ち出せばいいので簡単です。
子供やお年寄りの手をひけるように、鞄は両手があくものがいいです。


◎今回の地震、津波からの避難

地震によって、いる場所によって、避難はさまざま。
~わたしの場合~

実家は、川から徒歩3分、海にも近いので、津波警報がよく聞こえます。
地震のたびに津波か?!と身構え、ときに避難していました。
毎回、空振りでしたが、あの地道な練習のおかげで今回すばやく動けました。
地震がくると、そりゃもうびっくりして怖くて、あれこれ考えらず、体はすぐに動きませんので、具体的なシュミレーションは大事と痛感しました。いつでもどこでも安全チェックを習慣に。
いろいろな時間帯で避難道を探しながらの散歩もおすすめです。

今回は、普段あまり海を感じない内陸10kmまで津波がきたので、
長ーく揺れたり、いつもとちがうと思ったら、海の地震かも?!と
情報をあつめて、近くの高く強い場所に目星をつけ、
地震の間は頭を怪我しないように、揺れの後は足を怪我しないよう。
揺れがおさまったら、はやめはやめ、上へ上へ。
道が悪くなっていて思うより時間がかかるし、近くに高い場所がない場合もあるので、
もし手元に何もな-い!ってときは、すぐあきらめて体ひとつでGO-!!!です。
普段から家族でそれぞれどうやって逃げるか話しておくと、このとき全力で逃げられます。
お年寄りは、避難を面倒がったり、おいて行ってと言いがちなので、いっしょに動こうと伝えます。
避難時に説得すると時間がかかり皆が危険になります。
今回、津波に流された方たちの多くは、心配して家族のもとへ向かったり、大事な物を取りに行ったり守った方々でした。

津波のときの安全な場所は、高台とか、鉄筋3階以上といわれます。
建物の壁に、/や×のヒビが入っていたら、倒壊の危険ありとも。
木造は流されるおそれがあるし、流れてきた火で引火する場合もあります。
それでも、木造2階で大丈夫だったり、鉄筋4階でも浸水したり、場所によって違いました。
到達時間、水の勢いも場所によってちがいます。
家から左へ歩けば車が3台重なり屋根が道をふさいでいました。
家から右に10分歩けば、何事もなかったような街並みがありました。
情報を集めながら様子をうかがえば、安全な場所がみえてきます。
ただ来るまで読めないのが津波の規模なので、大きめに考えて長めに安全場所へ。
濡れて、体温、体力うばわれないように。

東北への橋

新幹線に乗って仙台、石巻行ってきました。
道も良くなってて、ふつうに帰れるのが本当にうれしい。

あれから2ヶ月。
だんだん落ち着いてきたところと、そのまま手つかずの場所がまだらにあって、
地震はいまも多く、避難の気持ち高いまま、通常どおり動いたりして、
こころのバランス取るのが難しいそうです。
住んでるとがんばってしまうものだから、やはり遠くからの応援は大事!とおもいました。

関東にいると、何かしたいんですとよく声をかけていただきます。
東京の母(夫は、住んだ町々に母がいて、いまのところ私のお姑さんは4人!)からも、何かしたいから教えてと
言われているので、頭をひねりますが
考えれば考えるほど、でっかく漠然としていく。

今回、地元に帰ってきて、
仲間に呼ばれてさくさくっと関東から女川にボランティアに来ていた友人、
知っている人に必要なものを訊いて、集めて手渡している知人をみてたら、
大きく考えすぎてたと気づきました。

何かできるのは、私から誰か。
わからなかったら、その人にきけばいいんですね。
家族にしてるのとおなじ。
さっそく近くの小学校に訊いて、子供用のマスクを調達することにしました。
たしかに、瓦礫や泥が乾いてきて、粉塵がいっぱい。風も強く、外は荒野のよう。
地元で買おうとしても、なかなか売ってないそうで。
東京母にも話し、ふたりでさっそく送りました。

直接知り合いがいなくても、被災地とつながっている私に声をかけて、支援してくださる。
インターネットにも、避難中の人が必要な助けを具体的に書き、他県の人ができる手伝いを探せるサイトがありました。
今、東北にはたくさんの方々から橋がかけられています。
助け合いがあるから、なんとかなる。
声をかけあっているから、まだまだ続く先へ進める。
子供たちは今、こうした人のやり取りや地域を感じています。このことが怖さや不安をやわらげています。
この先、自然と共存する暮らし方を考えはじめています。
子供が元気になると、大人もつられてやる気が出ていました。

地震と津波

たくさんのご心配ありがとうございました。
そして、今もたくさんの応援ありがとうございます。
実家のある宮城から、夫と子供と横浜に戻っています。

みなさまから届く、だいじょうぶ?の声に
ほんとに支えていただきました。
国内外の方々が、現地にいるように声をかけてくださったり、
そばに来て、近所の人のように手を貸してくださることのありがたさを今も実感しています。
この心強さは、すごいです。
寒いの、お腹すいたの、吹っ飛びました。

地元パワーもすごかった。
歩ける道を作るための片づけ、ごはんの調達、
人と人が声をかけ集まるたびに、アイディアも、炊き出しメニューも豊富になりました。
それから、知り合いをたずねあっては、わずかの食べ物、品物を渡しあいました。
あれは、きっとなかなか食べられず使われず、ぐるぐるまわってたんじゃないかと
愛おしくおもいます。
なにもないので笑うしかなく、寒いので動くしかないのがかえって
普段なら照れてしまいそうな
互いに笑顔で支えあうことにつながりました。

もちろん、津波はすごく恐かった。
ただじっとして上から見ているときも、
外に出て、泥一色になった風景を見たときも。
どう捻っても言葉が出ませんでした。
人がいるのに気配がない静けさ。風も吹くのに音がありません。
色とか具体的な形のものがないところに
ふつうに服着た自分が立ってる異次元。
ありえない程の無音。無形。色は泥だけ。不思議でした。

みんなどうしてるんだろ?ここどこなんだろ?という呆然をかかえたまま
普通に話し、日が出たら食べ物を探し家を直し、日が沈んだら寝る暮らしを始めた
ここにいる人たちが、わたしを育ててくれたんだとおもうと、
どんどん力がわいて、ふんばれました。
いまさらながら、もう大人ですが、
郷土愛が、ぶわーっとあふれました。

というわけで、
連休に、また行ってきます。

まだまだ先は長いし、瓦礫や泥もある。
町並みは変わっても、木々や家、色が戻って、またカラフルな景色が広がるよう
これからも、遠くから近くから、できることやってきます。
みなさんの応援を糧にして♪
ほんとにありがとうございます!!!
いつも心にみなさん、そして故郷。これが何より今動くちからになっています。

家族無事確認

家族全員の無事が確認できました。色々心配しましたが、命はあるので、心配ありません。
僕は緊急帰国し、仙台に向かっています。今後の状況はおって連絡します。

テーマ:地震 - ジャンル:日記

おあずかりします

こどもが生まれて一年になりました。
はじめて対面したときは、その壮大さに、とんでもないあずかりものをした!という昔話の爺婆のような気持ちになったものですが、大事に育てています。
のむ、おむつ、寝るを単調に繰り返すだけでみるみる成長する我が子は、当たり前のことをスリリングにしてくれ、まだ言語も道具もさほど要らない生活は大自然を感じさせてくれます。

これからも、近くで添い見守れることに感謝しながら。大きくなった時、ベトナムと日本の半分ではなく、ふたつ持っていると頼もしく感じられるよう、日々を重ねていこうと思います。

日本では生まれて0歳から始まりますが、ベトナムでは「数え年」生まれたときに一歳です。ある日ふいにお腹にやって来て勝手に動く様には、お腹に宿って0歳に合点がいきました。数え年とは、誕生日ではなくお正月を迎えるごとに一歳増えるそうです。皆で一斉に年をとる大らかな数え方。でも祝うのはそれぞれの誕生日だそうで、少々ややこしい。そんな訳でベトナムの人と年齢の話になると、実は1~2歳ずれてたってことが多いです。

初北海道&初お土産!

仕事の出張で初めて北海道に行くチャンスをゲット!!!わくわく!!!
日温が25度前後の東京から最高温度11度の北海道に・・・
晴れているのに、風がヒューヒューと吹く仕事の現場・・・
初夏の服しか着ていないので、北海道の寒さを十分満喫!
南国出身の僕にとっては貴重な経験でした~

そして、空港でお土産タイム!!!
上司に勧められたのは、花畑の生キャラメル!なんだか美味しそうな響き!
飛行機は17:30・・・
さ~て、45分があるから、余裕でしょう・・・

だが・・・

どの店に行っても花畑の生キャラメルが品切れ・・・
そして、他の客さんもみんな騒いでいる・・・「花畑はない・・・花畑の生キャラメル~ゥ・・・」 !!!
どんだけ~人気があるじゃ~と思いながら探し回すと、見つけた唯一の販売場所には、超長い行列が出来ている・・・そして、次の販売時間が17:00になっている。
販売時間まで決められ、長い行列を並んで買うのは馬鹿らしくなって、生キャラメルはやめました。

その代わりに花畑のチーズダルトと人気がなくなりかけた白い恋人!←美味しかったで~す!

そして、こんな可愛いものも買っちゃいました~ !!!
↓↓↓丑年に生まれた娘にはちょうどいい一品で~す。
牛ちゃん
赤ちゃんベッドに寝かせたら、娘にそっくり!なんて言ったら、
親バカと言われるでしょうから、やめておきま~す!!!
あくまでイメージ写真です(笑)

楽しい日帰りの旅でした~

なんと!なんと!なんと!

我が家のビッグニュース!!!

本日の18:37に無事赤ちゃんが生まれました(^0^)/
37週一日目で生まれたが、2720gの立派な女の子です。
将来、世界のMiss にするつもりなので、応援のほど、宜しくお願いします。m(_ _ )m
写真はまだ取れていないので、下記のイメージで想像してください。

girl
↑可愛いでしょう!

ちなみに、「痛い」って妻が呻いてから産むまでかかった時間は40分程度で、ちょー安産でした。(もちろん呻く前は痛みをたくさん耐えてくれたと思うが・・・)
15時ごろにお医者さんから看護婦さんまでみんなは「まだだね」とか「順調に行けば深夜だね」とか言われたばかりなのに、18時15分にやばいばいばいって感じになって、看護婦さんたちが慌てて分娩室に移させようとしたときは、もう赤ちゃんが出そうになった!!!

そして・・・「息を吸って、ハイ吐いて」と言われるところか、「もう息を止めてください」って助産婦さんが慌ててながら言ったときは、赤ちゃんがもう全身出ました。18時37分でした~

とりあえず、今日はゆっくり寝ま~す!!!
新パパの日記でした~

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プロフィール

横道AGO

Author:横道AGO
2007'09まで、仙台で
諸国の人の交流を柱にした
雑貨・喫茶の店を構える。

現在、
ベトナム人の夫、日本人の私、
3歳の娘でインドに住む。

 

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